3日:人の目に正しいことではなく、 神の目に正しいことを行なうように祈る

とりなしの祈り

士師たちの時代にイスラエルには王がいなかったので、イスラエルの子たちは自分の目に正しいことを行ない、その結果、腐敗し堕落しました。モーセがイスラエルの民に告げた事は、彼らが良き地に入ったとき、自分の目に正しいが神の目には正しくないことを行なうべきでないということでした。今日のクリスチャンはしばしば、自分たちにとって、ある事柄は正しいか間違っているかであると言います。このように生きることは、自分の目に正しいことを行なうことです。わたしたちが自分の目に正しいことを行なうのは、恐ろしいことです。わたしたちは、神の目に正しいことを行なわなければなりません(士師記17:6、18:1、19:1、申命記12:8)。

[2021年7月訓練 メッセージ9 アウトラインより]

 

士17:6

それらの日々、イスラエルには王がなく、すべての人は自分の目に正しいことを行なっていた。

 

士18:1

それらの日々、イスラエルには王がなかった.またそれらの日々、ダン人の部族は自分たちの住むべき嗣業を求めていた.その日に至るまで、彼らにはイスラエルの諸部族の間で、嗣業の地が割り当てられていなかったからである。

 

士19:1

それらの日々、イスラエルに王がなかったとき、あるレビ人がエフライムの山地の奥に住んでいた。彼はユダのベツレヘムから一人の女をめかけとした。

 

申12:8

あなたがたは、わたしたちが今日ここでしているように、各自がすべて自分の目に正しいと思うことを行なってはならない.

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