2022-02

とりなしの祈り

28日: 敵と戦うために最強の軍隊を整えるように祈る

アビガイルがダビデと結婚したことは、戦いのために軍隊に加わった召会を予表しています。「すぐに戻ってきます。今わたしが言及するのは、エペソ第5章であり、そこには妻がいます。それは偉大な奥義、キリストと召会です。キリストは、彼女に対する愛から、...
とりなしの祈り

27日: 勝利者として主と共に戦うバイタルな戦士になるように祈る

サムエル記上第25章以降、アビガイルは常に、戦士であるダビデのそばにいて、彼の戦いにおいて彼に従いました。「彼がこの事を認識するのは、何と尊いことでしょう。わたしの仲間は、わたしがどこに行こうと、わたしのそばにいます。彼女は、どんな点におい...
とりなしの祈り

26日: 苦難のただ中で戦うキリストと共にいるように祈る

アビガイルは、自分の夫であるダビデが苦難のただ中で戦いに従事していることを認識します。わたしは、彼と共に苦難の生活を生きます。なぜなら、わたしたちは地上で神の王国のために戦っているからです。軍隊になる花嫁の、何という特徴でしょう。それは、わ...
とりなしの祈り

25日: 兄弟姉妹をさらに愛するように祈る

わたしたちは新しい人を着たので、神に選ばれた者、聖なる愛されている者として、思いやりの心と慈しみ(慈愛)を着る必要があります。「今、わたしたちは信者として、また互いに肢体として教えられています。わたしたちは新しい人を着る必要があります。新し...
とりなしの祈り

24日: イエスだけをひたら見る時間を持つように祈る

わたしたちは自分自身を見るときはいつでも、自分の足が不自由であることを見いだし、失望してしまいます。「わたしたちが毎主日ごとに、主の食卓に来るとき、自分がその週どれほど悪かったか、どれほど失敗したか、またこれやあれやについて考えてしまうとい...
とりなしの祈り

23日: 内省しないように訓練する

わたしたちは救われた後、自分の「不自由な両足」について忘れて、わたしたちの王であるイエス・キリストの食卓に着いて彼を享受すべきです。「わたしたちうちの多くの人の問題というのは、数分ごとに食卓を押しのけて、なおも自分の不自由な足を見ることにあ...
とりなしの祈り

22日: 若者たちが福音を宣べ伝えるように祈る

わたしが願うのは、わたしたちの間の多くの若者たちが、「あなたはどこにいるのか?」と呼ばれるこのメッセージをする良い伝道者になることです。それは、堕落した人類に対する神の喜ばしいおとずれの最初の言葉です。「あなたはどこにいるのか? わたしから...
とりなしの祈り

21日: 六種類の人を探し求め福音を宣べ伝えるように祈る

「あなたはどこにいるのか?」(創世記3:9のフットノート2)。神がその問いかけをされました。「堕落の直後に、アダムとエバは、彼らの違反の結果が死であることを知りました」。罪の報酬は死です。彼らはただそこで震えており、発見されるのを、また死の...
とりなしの祈り

20日: わたしたちの霊から思い、感情、意志の中へとご自身を拡大するように祈る

疑いもなくキリストはわたしたちの霊の中へと入られましたが、わたしたちは彼にどれほど拡大していただいたでしょうか? わたしたちにはすべてのさまざまな内側の各部分、すなわち思い、感情、意志、わたしたちの魂の各部分があり、それらは依然としてキリス...
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19日: 三一の神を作動させる人の祈りが増強されるように祈る

三一の神は大きな機械にたとえることができ、パウロはそれを作動させる者でした。わたしたちは一つの学課を学ばなければなりません。その学課は、全宇宙には高い原則があるということです。この原則とは、神が何かを行なうことを願っていても、彼は「機械」に...
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