29日: 御言葉を食べ、見いだして喜び楽しむ人となるように祈る

とりなしの祈り

主イエスは祈りの人であって、神と一であり、絶えず神の臨在の中を生き、どのような苦難や迫害の下にあっても神に信頼し、自分自身に信頼せず、この世の支配者であるサタンは彼の中では何も(何の立場も、何の望みも、何の機会も、何事においても何の可能性も)持っていませんでした。「これはリー兄弟の証しです。リー兄弟はこの務めを行ないました。わたしの生涯でこんな人を見たことがありません。彼の生活は、働きであり、務めであり、イエスの複製です。彼は、イエスを全焼のささげ物としていました。日ごとにイエスを食べていたのです。イエスを食べるとき、こうなります。主の言葉は、彼の中で見いだされて、彼はその言葉を食べて、喜び楽しみとしました。毎日キリストを食べました。そしてこのゆえにキリストを生きました。キリストは召会を愛するキリストです。キリストは召会を愛しています。召会のためにご自身を捨てました。キリストを食べて、愛する時、召会を愛しているキリストを愛しています」(ヨハネ10:30.8:29.14:30後半.16:32-33.Ⅰペテロ2:23)。

[2023年9月 東京全時間訓練集中講義]

 

ヨハネ8:29

わたしを遣わされた方は、わたしと共におられる.彼はわたしを独りにしておかれない.わたしはいつも、彼に喜ばれる事を行なっているからである」。

 

ヨハネ16:32

見よ、あなたがたがそれぞれ自分の所へ散らされて、わたしを独り残す時が来ようとしており、そしてすでに来ている.しかし、わたしは独りではない.父がわたしと共におられるからである。

 

ヨハネ16:33

わたしがこれらの事をあなたがたに語ってきたのは、あなたがたがわたしの中で、平安を持つためである。世にあって、あなたがたには苦難がある.しかし、勇気を出しなさい.わたしはすでに世に打ち勝っている」。

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