28日: 十字架と復活の実際を 経験するように祈る

とりなしの祈り

全焼のささげ物としてのキリストにとって、灰は終わりではなく、始まりです。灰は、キリストが死に渡されたことを意味します。しかし、東は復活を表徴します。わたしたちはキリストの中で減少させられて灰になればなるほど、ますます東側へと置かれます。わたしたちは東側において、太陽が昇ることと、わたしたちが復活の日の出を経験することを確信します。最終的に、この灰は新エルサレムとなります。キリストの死は、わたしたちを終わりへともたらし、わたしたちを減少させて灰とならせます。復活の中でこの灰は、神の建造のための尊い材料となります。わたしたちは減少させられて灰となるとき、三一の神の造り変えの中へともたらされて、新エルサレムを建造するための尊い材料となります(マルコ9:31.ピリピ3:10-11.ローマ12:1-2.Ⅱコリント3:18)。

[2023年9月 東京全時間訓練集中講義]

 

ピリピ3:10

キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて、

 

ピリピ3:11

何とかして、死人の中からの格別な復活に到達するためです。

 

ローマ12:2

またこの時代にかたどられてはいけません.むしろ、思いが新しくされることによって造り変えられなさい.それは、何が神のみこころであるか、すなわち何が善であって、喜ばれ、完全なものであるかを、あなたがたがわきまえるようになるためです。

 

Ⅱコリ3:18

しかし、わたしたちはみな、主の栄光をおおいのない顔をもって、鏡のように見つめ、そして反映して、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと徐々に造り変えられていきますが、それはまさに主なる霊からです。

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