29日: 宝物倉としてのキリストの中で神の豊富を享受するように祈る

とりなしの祈り

わたしたちは宝物倉としてのキリストの中で神の豊富を享受するために、命の感覚にしたがって主との接触の中にとどまり、主と接触し続け、自分自身を訓練して霊の中で貧しくなり、心が純粋である必要があります。わたしたちは宝物倉としてのキリストの中で神の豊富を享受するために、自己を否む、十字架を負う、魂の命を失うという「かぎ」を用いる必要があります(コロサイ3:16.マタイ5:3, 8.マタイ16:18-19)。

[2022年10月国際長老責任者訓練 メッセージ8 アウトラインより]

 

コロサイ3:16

知恵を尽くして、キリストの言をあなたがたの内に豊かに住まわせ、詩と詩歌と霊の歌とをもって、互いに教え戒め合い、恵みをもって、心から神に向かって歌いなさい。

 

マタイ5:3

「霊の中で貧しい人たちは幸いである.天の王国は彼らのものだからである。

 

マタイ5:8

心の純粋な人たちは幸いである.彼らは神を見るからである。

 

マタイ16:19

わたしはあなたに天の王国のかぎを与える.あなたが地上で縛るものはすべて、すでに天で縛られていたものであり、あなたが地上で解くものはすべて、すでに天で解かれていたものである」。

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