28日: わたしたちが解雇され、キリストに置き換えられるように祈る

とりなしの祈り

真の召会生活は、すべての聖徒が解雇され、キリストに置き換えられて、キリストを召会の中のあらゆるものとする生活です。わたしたちはみな「セブナ」であり、真のエリアキムとしてのキリストによって取り除かれ、置き換えられて、彼の複製となり、神の奥義の執事また神のさまざまな恵みの家令となります。新約において、キリストがわたしたちを置き換えることは、完全に接ぎ木された命の事柄です。わたしたちは野生のオリブの木の枝として、栽培されたオリブの木であるキリストの中へと接ぎ木されました。こうして、わたしたちはキリストに結合され、この結合の中でキリストはわたしたちを置き換えます(コロサイ3:10-11.Ⅰコリント4:1.ローマ11:17, 24)。

[2022年10月国際長老責任者訓練 メッセージ8 アウトラインより]

 

コロサイ3:10

新しい人を着たのです.その新しい人は、それを創造された方のかたちにしたがって全き知識へと至るように、新しくされつつあるのです.

 

コロサイ3:11

その新しい人には、ギリシャ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開人、スクテヤ人、奴隷、自由人はあり得ません.キリストがすべてであり、すべての中におられるのです。

 

Ⅰコリント4:1

このように、人はわたしたちを、キリストのしもべ、また神の奥義の執事と考えるべきです。

 

ローマ11:17

ところが、もし枝の中のあるものが折られて、野生のオリブの木であるあなたが、彼らの間に接がれ、オリブの木の根の豊かな養分に共にあずかる者となったとしても、

 

ローマ11:24

もしあなたが、本来は野生のオリブの木であるものから切り離されて、栽培されたオリブの木へと、自然の性質に反して接がれたとしたら、まして本来の枝である者たちは、彼ら自身のオリブの木へとどれほどよく接がれることでしょう!

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