10日: 日に三回、聖書を読むように祈る

dailyprayers05 とりなしの祈り

御言に時間を費やすことは、洗うことに似ています。もしわたしたちが神の御言にしばらくの間、来なかったなら、わたしたちの思うこと、わたしたちの意志、わたしたちの感情は霊的に非常に汚れるでしょう。しかしながら、もしわたしたちが聖書を日ごとに読むなら、御言は自然にわたしたちの思い、感情、意志を経過し、わたしたちの内側の各部分を清めるでしょう。わたしたちは、すべての節をわたしたちの記憶にとどめることはできないとしても、言葉の中の水の洗いによって大きな益を受けます。御言に時間を費やすことは、食べることに似ています。肉体のことに関して言えば、もしわたしたちが正しく食べるなら、健康になります。霊的な生活でも原則は全く同じです。わたしたちは一日に少なくとも三回、朝食、昼食、夕食を取るように、御言に時間を費やす習慣を建て上げるべきですわたしたちは時を贖い取って、聖書を読む必要があります。神の御言に時間を費やすことは、いつも有益です。それは最高の習慣です。この習慣はわたしたちを主の臨在の中に保ち、時間を浪費することからわたしたちを救います(エペソ6:17-18.Ⅰテモテ4:13.啓1:3)。

[2023年4月9日 タオ兄弟を迎えての関東地区特別集会]

 

エペソ6:17

また救いのかぶとを受け取りなさい.さらにその霊の剣、すなわちその霊である神の言葉を、

 

エペソ6:18

すべての祈りと願い求めによって受け取りなさい.どんな時にも霊の中で祈り、すべての聖徒のために根気と願い求めの限りを尽くし、このために目を覚ましていなさい.

 

Ⅰテモテ4:13

わたしが行くまで、朗読すること、勧めをすること、教えることに努めなさい。

 

啓示録1:3

この予言の言を読む者と、それを聞いて、その中に書かれている事を守る者たちは幸いである.なぜなら、時が近いからである。

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