20日: 主との時間を費やして注入されるように祈る

とりなしの祈り

特に新しい年へ変わる時に、時間を見つけ、時間を割き、時間を確保して、わたしたちの法理的な贖い主、また有機的な救い主の御前にいて、彼の目にわたしたちの内側で働きを行なっていただくようにと、わたしは特に励まします。あれやこれを行なうこと、ここやあそこに行くことに気を取られないようにしましょう。そうではなく、彼と共にとどまり、彼にわたしたちを見ていただきましょう。わたしたちは彼に照らしていただき、暴露していただき、裁いていただくべきです。わたしたちは自分の全存在のあらゆる部屋、ありとあらゆる場所、あらゆる部分を彼に開いて、言う必要があります、「主よ、わたしを見て、わたしの内を照らし、わたしをよく調べてください。わたしのあらゆる部分はあなたに開いています。わたしは何もとどめておきません。わたしはどの部分も閉ざしません」。彼にわたしたちを探り照らしていただくとき、その結果、正しい方法での多くの悔い改め、告白、罪定めがあるでしょう。しかし、これで終わりではありません。わたしたちがこのようにして主と共にいるとき、伝達と注入が始まるでしょう(ゼカリヤ3:9.4:7.啓1:14.5:6)。

[2022年12月 定期訓練 メッセージ4より]

 

ゼカリヤ3:9

見よ、これは、わたしがヨシュアの前に置いた石である.一つの石の上に七つの目がある。見よ、わたしはそれに彫り物を彫ると、万軍のエホバは告げられる.そしてわたしはその地の罪科を、一日のうちに取り除く。

 

ゼカリヤ4:7

大いなる山よ、あなたは何者か? ゼルバベルの前で、あなたは平地となる.そして彼は、恵みあれ、これに恵みあれと叫びながら、頂石を運び出す」。

 

啓示録5:6

わたしはまた、御座と四つの生き物の間、長老たちの間に、ほふられたばかりのような小羊が立っているのを見た.それには七つの角と七つの目があった.それは全地に遣わされた神の七つの霊である。

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