19日: 命であるキリストを油として人に流し出すように祈る

とりなしの祈り

わたしたちはみなオリブの木となって、わたしたち自身から神を空にして、他の人の中へと流し込むべきです。このようにして、神が流れ出るオリブの木である人たちによって、油は必要な人たちに供給されます。わたしたちが造り変えられつつあり、神聖な油、新鮮で現在の喜びの油、究極的に完成されて七倍に強化された霊で満たされているとき、わたしたちは注ぎ出す必要があります。わたしたちがここにいるのは、油を流し出すため、すなわちキリストを命の供給として神の民に供給するためです。わたしたちがここにいるのは、命と油、すなわち神ご自身を分け与えるためであり、それは燭台がきよめられ、神聖な光をもって輝くができるためです。こうしてわたしたちの召会生活は、真に輝く燭台となるでしょう(ローマ11:17.ルカ10:34.ヨハネ7:37-39)。

[2022年12月 定期訓練 メッセージ4より]

 

ローマ11:17

ところが、もし枝の中のあるものが折られて、野生のオリブの木であるあなたが、彼らの間に接がれ、オリブの木の根の豊かな養分に共にあずかる者となったとしても、

 

ルカ10:34

近づいて来て、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をした。そして自分の家畜に乗せて、宿屋に運び、彼の世話をした。

 

ヨハネ7:37

祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って叫んで言われた、「だれでも渇く者は、わたしに来て飲むがよい。

 

ヨハネ7:38

わたしの中へと信じる者は、聖書が言っているように、その人の最も内なる所から、生ける水の川々が流れ出る」。

タイトルとURLをコピーしました