19日: 主との親密な会話を持つように祈る

とりなしの祈り

ぶどうの木であるキリストの中に住むことは、わたしたちがぶどうの木の枝であるという明確なビジョンを見ることにかかっています。いったん自分がぶどうの木の枝であることを見るなら、その交わりを維持する必要があります。ですから、これは主の中に住むという実際的な経験であり、その交わりを維持することです。それがわたしたちの祈りと大いに関係があることを見てきました。しかし、交わりを維持するような祈りは正式な祈りではないことを、わたしは指摘したいと思います。それは良い友人の間の親密な会話のようなものです。わたしたちは主に語り、主にわたしたちに語っていただき、主と会話し、それを維持します(ヨハネ15:1、4、5)。

[2021年サンクスギビングデー特別集会 メッセージ2 アウトラインとノートより]

 

ヨハネ15:1

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は栽培者である。

 

ヨハネ15:4

わたしの中に住んでいなさい.そうすれば、わたしもあなたがたの中に住む。枝がぶどうの木の中に住んでいなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしの中に住んでいなければ、実を結ぶことはできない。

 

ヨハネ15:5

わたしはぶどうの木であり、あなたがたはその枝である。人がわたしの中に住んでおり、わたしもその人の中に住んでいるなら、その人は多くの実を結ぶ.わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである。

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