3日: 神が願う、神・人となるように祈る

神は善い人を願っていません。アダムは堕落する前は善い人でした。彼は完璧だった。彼には罪がまだありませんでした。彼は善い人でした。しかし、神は善い人を欲していませんでした。神は、GOOD(善い)から、アルファベットのOを一つ取って、GOD(神)としたかったのです。神は、神・人を得たかったのです。こういうわけで、神はアダムを命の木の前に置きました。それは、人が、命の木としての神であるキリストを享受し、彼を取り入れるためです。こうして、このことは人を喜ばせ、満足させ、神で満たされるようにし、人を通して、神を表現させて、神のエコノミーと永遠の目的を完成させるためです(マタイ19:17前半.マルコ10:17-18.詩16:2)。

[2022年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ1 ノートより]

 

マタイ19:17

イエスは彼に言われた、「なぜわたしに、善いことについて尋ねるのか? 善いのはただおひとりである。もしあなたが命に入りたいなら、戒めを守りなさい」。

 

マルコ10:17

それからイエスが道に出ようとされると、ある人が駆け寄って来て、御前にひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命を受け継ぐためには、何をすればよいのでしょうか?」。

 

マルコ10:18

イエスは彼に言われた、「なぜあなたはわたしを善いと言うのか? 神おひとりのほかに、善い者はいない。

 

詩16:2

わたしはエホバに言います、「あなたはわたしの主です.あなたのほかに良きものはありません」.

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