11日: 規則正しく聖書を読むように祈る

dailyprayers05 とりなしの祈り

わたしたちは、迷信的にならずに、命の原則に注意を払う必要があります。もしわたしたちが食べたり、飲んだり、呼吸したり、眠ったり、運動したりしないのに、主がわたしたちをあわれんで、わたしたちを健康にし、長生きさせてくださると信じるなら、わたしたちは迷信的です。同様に、もしわたしたちが御言に時間を費やすことを軽視して、召会が健康的で、豊かで、生き生きとしているのはただ、主のあわれみにかかっていると思っているなら、わたしたちは迷信的です。なぜなら、わたしたちは命の原則を満たしていないからです。わたしたちは主に信頼すべきですが、主が命のために定められた原則を満たす必要があります。御言を読み、主に祈り、主と接触して、主とやりとりすることは、神が定められた原則であり、わたしたちが守る必要のあることです。もしわたしたちがその原則を守らなければ、霊的な命において健康であることは決してあり得ません。わたしたちは毎日、時間を取って、御言を祈り読みする(読む)必要があります。もしわたしたちが忠信にこの事を実行するなら、霊的に成長し、完全にまた徹底的に復興されるでしょう。もしすべての聖徒がこの事を行なうなら、召会全体は復興され、集会は豊かにされ、豊かになるでしょう。この事は、興奮やかき立てる道ではなく、命の道です(ヘブル5:12-14.Ⅰペテロ2:2-3)。

[2023年4月9日 タオ兄弟を迎えての関東地区特別集会]

 

ヘブル5:12

時間の上では、あなたがたは教える者であるはずなのに、神の言の初歩的な基本を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります.そして固い食物ではなく、乳を必要とする者になっています。

 

ヘブル5:13

すべて乳にあずかっている者は、義の言に経験がありません.なぜなら、彼は幼子であるからです.

 

ヘブル5:14

しかし、成人した者たちのためには、固い食物があります.彼らの機能は、習慣的に訓練されて、善悪を識別することができるのです。

 

Ⅰペテ2:2

生まれたばかりの赤子のように、悪巧みのない言葉の乳を切に慕い求めなさい.それによって、あなたがたが成長して救いへと至るためです.

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