11月14日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

Ⅰテサロニケ1:9-10, 9節のノート2, 10節のノート1

「なぜなら、彼ら自身が、わたしたちのことを言い広めているからです。すなわち、わたしたちがどのようにあなたがたの所へ入って行ったのか、また、あなたがたがどのように偶像から神に向きを変えて、ひとりの生けるまことの神に仕えるようになったのか、また、神が死人の中から復活させられた御子、すなわち、まさに臨もうとしている激怒からわたしたちを救うイエスが、天から来られるのを待っているのかを言い広めているのです」。

偶像から神に向きを変えること、生けるまことの神に仕えること、天から来られる御子を待つこと、これらは、別の角度から見たクリスチャン生活の三つの基本的な要素です。偶像から神に向きを変えるとは、偽りの神々と、その背後にいる悪魔や悪鬼どもからだけでなく、神以外のすべてのものからも向きを変えることです。これは、福音の言葉を聞くことを通して、初信者の中へ注入された信仰によって成し遂げられます。生けるまことの神に仕えるとは、手順を経て、信者たちの命と命の供給となり、彼らに享受を与える三一の神、すなわち父、子、霊に仕えることです。彼らは、神を礼拝の対象としてだけでなく、彼らの中に生きているすべてを含む供給する方として、経験すべきです。この経験は、愛によってもたらされます。この愛は、御子を通して、その霊にある、御父の豊かな供給の甘い味わいによって、信者たちの内側に生み出されます。天から来られる神の御子を待ち望むとは、受肉、人の生活、十字架を経過して、復活の中に入り、昇天し、信者たちを栄光の中へと迎えに戻ってこられる方を待つことです。これは、信者たちを強めて、信仰の中にしっかりと立たせる望みです。わたしたちは、天から来られる神の御子を待ち望んでいますから、わたしたちの将来の焦点は彼にあります。わたしたちの生活は、二つのことを表明します。それは、この地上に望みがなく、この時代に積極的な運命がないこと、しかしわたしたちの望みは、来たるべき主であり、彼が永遠の運命であることです。御子を待ち望むことは、召会生活のためのクリスチャン生活を支配し、維持し、守ります。

<抜粋>パンと魚

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