11月21日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

ルカ12:49-50, マルコ10:38のノート1, ルカ12:50のノート2

「わたしが来たのは、地上に火を投じるためである。それがすでに燃え上がっていたならと、わたしはどんなに願っていることか! しかし、わたしには受けなければならないバプテスマがある。それが成し遂げられるまで、わたしはどれほど圧迫されることであろう!」

マルコによる福音書第十章三八節で、杯とバプテスマはいずれも、奴隷・救い主の死のことを言っています(ヨハネ十八・十一、ルカ十二・五〇)。杯は、彼の死が、神によって彼に与えられた分け前であることを象徴します。彼はその分け前を、罪人を神へと贖うために飲まれました。バプテスマは、彼の死が、神によって定められた道であることを示します。彼はその道を、罪人のための神の贖いの完成のために、通過されました。わたしたちのために、彼は自ら進んでこの杯を飲み、このバプテスマでバプテスマを受けられました。
「圧迫される」とは、あるいは、拘束されることです。主は受肉において、ご自身の上に着た肉の中に拘束されていました。神聖な命を伴う、彼の制限されない無限の神聖な存在が、彼の肉から解き放されるために、彼は肉体の死を経験して、バプテスマされる必要がありました。彼の神聖な命は、彼の肉体の死を通して解き放された後、復活の中で、彼の信者たちの霊の命の衝撃力となりました。

<抜粋>パンと魚

タイトルとURLをコピーしました