12月13日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

Ⅰテモテ3:16, 16節のノート2, 5

「そして確かに、偉大なのは敬虔の奥義です。この方は肉体において現され、その霊において義とされ、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、この世で信じられ、栄光のうちに上げられた」。

ここの「敬虔」は、神に対する敬虔な態度だけでなく、召会の中で神を生きること、すなわち、命としての神が召会の中で生かし出されることをも示しています。これは、キリストにある信者たちが宇宙的に承認している偉大な奥義です。
受肉したキリストは、人の生活において、その霊によって神の御子と立証されただけでなく(マタイ三・十六―十七、ローマ一・三―四)、その霊によって義とされ、証明され、正しく義なる方であると承認されました(マタイ三・十五―十六、四・一)。彼は肉体において現されましたが、その霊において立証され、義とされました。彼は肉体において現されましたが、その霊において生き(ルカ四・一、十四、マタイ十二・二八)、その霊を通して、ご自身を神にささげられました(ヘブル九・十四)。彼の変貌(マタイ十七・二)と復活は、いずれもその霊における立証です。さらに、復活において、彼は命を与える霊と成って(Ⅰコリント十五・四五、Ⅱコリント三・十七)、わたしたちの中に住み、生きて(ローマ八・九―十)、肉体における神の現れ、すなわち敬虔の奥義となられました。ですから今や、わたしたちはもはや肉にしたがってではなく、その霊にしたがって、キリストとその肢体を知ります(Ⅱコリント五・十六)。肉体における神の現れが義とされたのは、その霊の中であり、その霊はわたしたちの霊と一つです(ローマ八・十六)。ですから、わたしたちはわたしたちの霊の中で生き、振る舞い、この義とされることが完成されるようにしなければなりません。

<抜粋>パンと魚

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