8月08日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

Ⅱコリント3:18, 18節のノート3, 5, 6

「しかし、わたしたちはみな、おおいのない顔をもって、鏡のように主の栄光を見つめつつ映しつつ、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと造り変えられていきますが、それはまさに霊なる主からです」。

「おおいのない顔」は、覆われた思い、覆われた心と対照的です(Ⅱコリント三・十四―十五)。わたしたちの顔におおいがないとは、心が主に向いていること、おおいが取り除かれていることを意味します。そしてその霊としての主が、わたしたちを律法の束縛、おおいから自由にし、その結果、わたしたちと主を隔てるものはもはや何もないことを意味します。
わたしたちは、主の栄光を見つめ、また映す鏡のようです。ですから、はっきり見て、正しく映すために、わたしたちの顔のおおいは完全に取られるべきです。
「主の栄光」とは、復活し、昇天した方である主の栄光です。彼は神と人の両方であり、受肉、地上での人の生活、十字架を経過して復活に入り、全き贖いを成就して、命を与える霊となられました。彼は命を与える霊として、わたしたちの中に住まわれます。その目的は、キリストご自身と、彼が達成し、獲得し、到達されたすべてを、わたしたちに現実のものとならせることです。それは、わたしたちが彼と一つになり、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと造り変えられるためです。

<抜粋>パンと魚

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