聖書

とりなしの祈り

23日: 同労者たちが真に組み合わされるように祈る

神聖な原則によれば、からだの正常な代表は常に、他の人と組み合わされる人たちによります。単独であることは個人主義的ですが、他の人と共に遣わされることは、からだの原則にしたがって遣わされることです。単独で行動することは、からだの原則を破壊するこ...
とりなしの祈り

22日: ネヘミヤやエズラのような忠信な人のリーダーシップの下で神の民が再構成されるように祈る

ネヘミヤやエズラのような忠信な人のリーダーシップの下でのみ、イスラエルは再構成されて神の証し、地上での神の表現、異邦人の諸国とは完全に異なっている民となることができました。これは、召会がそうなるように、神が今日願っているものの予表です。ネヘ...
とりなしの祈り

21日: 神の永遠のエコノミーの制御するビジョンのリーダーシップを見るように祈る

新約の務めにおけるリーダーシップとは、神の永遠のエコノミーの制御するビジョンのリーダーシップであって、制御する人のリーダーシップではありません。使徒パウロは、「わたしは天のビジョンに背かず」と宣言しました(使徒2:42.Ⅱテモテ3:10.使...
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20日: 務めの中で導く者たちにおける神の代理権威を見るように祈る

新約がわたしたちに見せているのは、務めの中で導く者たちにおける神の代理権威があり、この権威が建造のためであるということです。神の代理権威は、導く者たちの教えの中にありました。至る所のあらゆる召会で同じ事を教えることは、パウロの代理権威の証明...
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19日: リーダーシップに対する主の概念を持つように祈る

リーダーシップに対する主の概念は、天然の概念と反対です。神の民の間に、実は天然の意味におけるリーダーシップはありません。神の新約エコノミーにおいて、リーダーシップは奴隷の身分を意味します。リーダーになろうとする者はだれでも、進んで奴隷となら...
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17日: キリストの勝利に基づいて戦うように祈る

霊的戦いは、キリストの勝利に基づいています。霊的戦いの出発点は、キリストの勝利の上に立つことです。それは、キリストがすでに敵を打ち破ったことを見ることです。地上における召会の働きは、キリストの勝利を維持することです。主はすでに戦いに勝ち、召...
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16日: 霊的戦いに従事するために、命が円熟する者が起こされるように祈る

戦いがなければ、また戦いの霊がなければ、建造はありません。建造は過酷な戦いを必要とします。召会をキリストのからだとして建造するためには、霊的戦いが必要です。残念なことに、今日の召会の中で、命の弱さのゆえに、霊的強さに欠けるゆえに、真理の光が...
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15日: 一方の手で戦い、もう一方の手で建造することの意味を理解して、実行する者が起こされるように祈る

ユダヤ人は、彼らの神に祈り、ネヘミヤの指示と指揮の下で、日夜、敵に対して見張りを置きました。彼らは武器をもって戦う用意ができていました。なぜなら、ネヘミヤが彼らを励まし、大いなる畏るべき主を覚え、彼らの家族のために戦うようにと指示したからで...
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14日: 若者がこの時代の流行の教えから守られるように祈る

この時代の流行の教えは、わたしたちの今日の若者の耳や思いの中に、ほとんど強制的に入って来ます。教えは、邪悪な者である悪魔が用いるものです。わたしたちを得るために、彼はわたしたちの思いを得る必要があります。そしてわたしたちの思いを得る方法は、...
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13日: 召会生活の中から民主主義が淘汰され、すべての事で、キリストの頭首権の下にもたらされるように祈る

正しい召会生活は民主主義ではありませんし、すべての人の意見が受け入れられる場所でもありません。それは、秩序のある場所です。地方召会が王国の秩序へともたらされるべき時です。それは、人の組織によってではなく、内側の命、秩序ある命によってです。わ...
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