21日: キリストで満たされ浸透されて、注ぎのささげ物となるように祈る

とりなしの祈り

注ぎのささげ物は、天的なぶどう酒としてのキリストの予表であり、彼はささげる人によって享受され、その人を満たして、神へのぶどう酒とならせます。わたしたちは、キリストをささげ物として経験することによって、キリストで満たされ浸透された人となります。わたしたちが主観的にささげ物として経験するキリストは、わたしたちの中でぶどう酒となり、わたしたちを恍惚状態にするほど幸いにさせ、喜ばせます。最終的に、わたしたちは、天的なぶどう酒であるキリストで浸透されて、ぶどう酒と一になり、ぶどう酒となりさえします。このようにして、わたしたちは注ぎのささげ物となるように資格づけられます(エペソ3:17.ガラテヤ4:19.Ⅱコリント5:13.エペソ5:2)。

[2023年12月定期訓練 メッセージ5]

 

エペソ3:17

またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.またあなたがたが、愛の中に根ざし土台づけられ、

 

ガラテヤ4:19

わたしの子供たちよ、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしはあなたがたのために、再び産みの苦しみをしています.

 

Ⅱコリント5:13

というのは、もしわたしたちが気が狂っていたなら、それは神に対してであり、冷静な思いであるなら、それはあなたがたのためです。

 

エペソ5:2

また愛の中を歩きなさい.キリストもわたしたちを愛して、ご自身をわたしたちのために、神へのかぐわしい香りのささげ物、またいけにえとしてささげられたのです。

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