献身

とりなしの祈り

21日: 内なる人において日ごとに更新されるように祈る

キリストの中にいるという意味においては、わたしたちは新創造ですが、わたしたちの実際の日常生活においては、わたしたちはそれほど新しくありません。なぜなら、わたしたちはまだキリストを、わたしたちを占有し、満たし、わたしたちの命、性質、外観、表現...
とりなしの祈り

20日: 霊の新しさの中で仕えるように祈る

わたしたちの生活にも奉仕にも、古さがあってはいけません。わたしたちの奉仕に関して、わたしたちには律法と文字との古さではなく、霊の新しさがあるべきです。わたしたちはパウロのように、わたしたちの再生された霊の中で、内住するキリスト、すなわち命を...
とりなしの祈り

19日: 命の新しさの中を歩くように祈る

命の新しさの中を歩くとは、復活の領域の中を生き、命の中で王として支配することを意味します。命の新しさの中を歩くとは、わたしたちが完全に造り変えられて、キリストのかたちに同形化されるまで、わたしたちの中にあるアダムに属するすべてを取り扱う生活...
とりなしの祈り

18日: 神の友として神に祈り、神の民のためにとりなすように祈る

最上の祈りは、友として神に祈ることです。アブラハムは神の友でした。創世記第18章で、天の神はご自身を低くして、アブラハムの友となりました。アブラハムが神の御前でなした栄光のとりなしは、二人の友の間にある人性の、親密な会話であり、神の心の願い...
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17日: 悪しき者どもの邪悪な状態に陥らないように祈る

イザヤ書第57章は、悪しき者どもの邪悪な状態について語っています。このフットノートは言います、「悪しき者どもの邪悪な状態は、彼らが主に来て、主を食べ享受しないことです。彼らは多くの事を行ないますが、来て主に触れ、彼を取り、彼を受け、彼を味わ...
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16日: 自分の本当の状態で神に祈り、神を吸収するように祈る

わたしたちは、自分の状態を顧慮するのではなく、神を仰ぎ望み、神を見つめ、神を賛美し、神に感謝をささげ、神を礼拝し、神を吸収することによって、神の臨在の中へと入って神と接触する必要があります。そうすればわたしたちは、神の豊富を享受し、神の甘さ...
とりなしの祈り

15日: 神の必要を満たすために祈る

神のエコノミーにおいて、神はご自身がそれによって支配される原則を確立されました。それらの原則の一つは、だれかが祈らない限り、神は行動されず、行動しようとされないということです。わたしたちは神の必要について語っています。彼は何を必要としている...
とりなしの祈り

14日: 不朽不滅の中でわたしたちの 主イエス・キリストを愛するように祈る

主に対するわたしたちの愛は、絶対的でなければなりません。万物のうちで主を第一位とすることは、初めの愛、最上の愛をもって主を愛することです。愛は、信者たちが彼らの仲間の信者たちに三一の神を供給し、伝達するためです。それは、すべての信者が、神聖...
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13日: わたしたちの信仰と愛をバランス良く発展させ完成されるように祈る

信仰と愛は、キリストにある信者たちの、二つの切り離せない卓越した美徳です。信仰は、三一の神の無限の豊富を評価し、実体化し、受け入れるためです。愛は、計り知れない豊富な三一の神を経験し、享受し、生かし出すためです(ヘブル12:2、Ⅰヨハネ4:...
とりなしの祈り

12日: 時間を費やして聖書を読み、主の生ける言葉を聞く実行が強められるように祈る

わたしたちが見たこともない方を愛しているのは、信じているゆえです。すなわち、生ける言葉を聞くことを通してわたしたちの中へと注入された、信仰のゆえです。愛は、わたしたちがキリストを評価することと関係があります。そのように評価することなしに、信...
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