2023-09

とりなしの祈り

9日: からだの実際の中にいるように祈る

キリストのからだは神聖で奥義的な領域です。わたしたちはキリストのからだの実際の中にいればいるほど、ますます神聖で奥義的な領域の中にいます(ローマ12:4-5.Ⅰコリント12:12-13,27)。 ローマ12:4 一つの体の中には多くの肢体が...
とりなしの祈り

18日: ブレンディングの真の意義を知るように祈る (1)

「神は……体を調和(ブレンディング)させられました」。「ブレンディングされる」という言葉は、「調整される」、「調和一致される」、「調節される」、「ミングリングされる」ことを意味し、それは区別を失うことを暗示します。ブレンディングは、高く深い...
とりなしの祈り

8日: 実際の中へと入るように祈る

ですから、わたしたちは、究極的に完成された霊とこの霊なるキリストの神聖で奥義的な領域と言ってよいのです。実際的な経験へと至らなければなりません。真理でとどまるわけにはいきません。ビジョンだけで満足することはできません。実際となりますように。...
とりなしの祈り

7日: 霊に触れるように祈る

究極的に完成された霊は、キリストの中で、肉体と成ること、人の生活、十字架、復活の手順を経過した三一の神です。すばらしい領域において、究極的に完成された、すべてを含む霊は、無尽蔵で、計り知れません。その中にいることによって学びます。出たり入っ...
とりなしの祈り

6日: 目が開かれるように祈る

主の回復におけるすべての聖徒は、物質の領域と神聖で奥義的な領域について、明確な見解、ビジョンを持つ必要があります。ですから、ビジョンというのは啓示と関係があります。おおいが取り除かれる、また光が必要です。そして、目が開かれることを必要としま...
とりなしの祈り

5日: 祈りが中心点に向けられるように祈る

わたしたちの祈りの中心点は、わたしたちが主の語りかけを切望することであるべきです。それによってわたしたちは彼の心の願いにしたがって彼の永遠のエコノミーの目標を成就して、彼の神聖な子たる身分を得ることができます(ルカ1:38.10:38-42...
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4日: 神・人として生きるように祈る

こういうわけで、わたしたちは神・人として、すべてを含む霊から離れて、いかなる行動も取らず、いかなる状況にも直面せず、いかなる必要にも応じないのです。今日わたしたちが取らなければならない道は、その霊の行動の中で行動する道であり、わたしたちの行...
とりなしの祈り

3日: 命と性質において神となることを見るように祈る

「わたしの負担は、神のエコノミーまたご計画が、ご自身を人とし、わたしたち彼の被造物を『神』とならせて、彼が『人化』され、わたしたちが『神化』されることであるということを、あなたがたにはっきりと示すことです」(「神聖な分与におけるさらに深い学...
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2日: この唯一の負担に入り込むように祈る

「長い年月を経て、わたしが神によって知らされたただ一つの事は、神が人と成られたのは、人が神格においてではなく命と性質において神となるためであるということです。これがわたしの唯一の負担、わたしの唯一のメッセージです」(ウイットネス・リー全集、...
とりなしの祈り

1日: 主の出現の前の、 主の回復の中心的な負担と 現にある真理との概要に 入り込むように祈る

訓練においてみたいのは主の回復の中心的な負担と全聖書の概要です。それは主の出現をもたらします。わたしたちは訓練において主の出現を愛します。今朝、このメッセージの用意をしていた時この節がありました。雅歌の最後の二つの節です。これを祈りにしてい...
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