2日: 神を「無」とせず、神に依存し、神を表現するように祈る

とりなしの祈り

イスラエルの民が、自分たちの間には王がなかったと言ったとき、これが意味したことは、彼らが「神」と神の地位を「無」にしていたということと、神の王職を「認め」ていなかったということです。神の幕屋はシロにあり、大祭司はウリムとトンミムを持っていましたが、イスラエルは神を「無」にし、また彼らの王としての神の地位を「無」にしていたために、イスラエルには行政がなく、管理がありませんでした。こういうわけで、士師記には神の表現がありませんでした(士師記18:31.21:25、出エジプト記28:30)

[2021年7月訓練 メッセージ9 ノートより]

 

士18:31

こうして、神の家がシロにあった間中、彼らはミカが造った彫った像を立てていた。

 

士21:25

それらの日々、イスラエルには王がなかったので、それぞれは自分の目に正しいことを行なっていた。

 

出28:30

あなたは裁きの胸当てに、ウリムとトンミムを入れなければならない.そしてアロンがエホバの御前に出るとき、それがアロンの胸の上にあるようにし、アロンはイスラエルの子たちの裁きを、エホバの御前で絶えず胸の上に担わなければならない。

タイトルとURLをコピーしました