12日: 制限し圧迫する状況のただ中で、小麦としてのキリストを経験するように祈る

とりなしの祈り

申命記第8章8節前半の小麦が予表しているのは、肉体と成って十字架につけられ葬られたキリストです。キリストは、彼の満ち満ちた務めの肉体と成ることの時期において、無限の神を有限な人の中へともたらしました。わたしたちは、わたしたちを制限し圧迫する状況のただ中で、キリストを一粒の麦として経験することができます。「わたしたちの経験はよく自分が制限された状況にいると感じていないでしょうか? そのような状況の中で、わたしたちはキリストを一粒の麦として経験します。わたしの負担はこのメッセージのあと、不平不満を言わないことです。この状況はもう十分ですと祈るかもしれませんが、主はそのままに置いておくかもしれません。しかし、こここそがあなたがビジョンを見なければ行けない場所です。この瞬間、このようなときこそ、あなたが本当に圧迫されてあらゆる面から圧迫されているただ中で、あなたが要点を見て、小麦のキリストを見るべきです。彼を見ることでビジョンとなり、あなたは、涙をもって叫ぶかもしれません。『主よ、あなたは、有限なキリストでした。あなたは制限された方でした。あなたは肉体と成り、制限を受け葬られた方です。あなたこそが小麦です。主よ、あなたを取ります。あなたを賛美します』。このような状況の中で、あなたは主権をもって、わたしたちが経験されて案配されたものです」(申命記8:8.ヨハネ12:24.1:1,14)。

[2023年12月定期訓練 メッセージ3]

 

申命記8:8

小麦と大麦とぶどうといちじくの木とざくろのある地、油のオリブの木と蜜のある地であり、

 

ヨハネ12:24

まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである.しかし、それが死んだなら、多くの実を結ぶ。

 

ヨハネ1:14

そして言は肉体と成って、わたしたちの間に幕屋を張られた.それは恵みと実際に満ちていた。わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であった。

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