29日: 戦う霊と協力するように祈る

とりなしの祈り

わたしたちは自分自身の中で、自分自身によって祈ることはできません。この事は完全に経験から来るものです。もしわたしたちがこのような祈りに従事したいなら、「わたしは祈ることができる」と思い込むべきではありません。あなたはこう言うかもしれません、「わたしには祈りの霊があります。わたしはこれをもって、またあれをもって、一日中祈ることができます」。もしあなたがこのような態度を持っているなら、あなたの祈りでさえ肉から出たものであるかもしれないということをわたしは恐れます。真の祈りは常に、堅固な土台から出てきます。祈る人は堅固な土台において、自分には祈ることができず、自分はふさわしくないことを認識しています、「わたしはこの祈りを維持することができません。わたしは、自分を維持するために、その霊に介入していただく必要があります」(コロサイ3:1-3、5)。

[2021年12月訓練 メッセージ5 ノートより]

 

コロサイ3:1

こういうわけで、もしあなたがたがキリストと共に復活させられたのなら、上にあるものを求めなさい.そこにはキリストがいて、神の右に座しておられます。

 

コロサイ3:2

あなたがたの思いを、地にあるものにではなく、上にあるものに置きなさい。

 

コロサイ3:3

なぜなら、あなたがたは死んだのであり、あなたがたの命は、キリストと共に神の中に隠されているからです。

 

コロサイ3:5

こういうわけで、地上にあるあなたがたの肢体、すなわち、淫行、汚れ、激情、邪悪な欲、むさぼりを死に渡しなさい.むさぼりは、偶像礼拝です.

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