30日: 絶えず祈る訓練をするように祈る

とりなしの祈り

パウロはローマ人への手紙第8章で、その霊が結合することについて、またわたしたちの弱さに対して、わたしたちの中で祈ることについて語っています。真の祈りは、わたしたちがその標準に達しているので言い表されるのではなく、あるいはとても強いので言い表されるのではなく、一生懸命祈ることができるので言い表されるのではありません。真の祈りは、何度も、弱さからから祈り出されます。わたしたちは、自分の祈りがとても壊れやすくて、さらには、とても信頼することができないものであると感じています、「主よ、わたしはあなたを必要とします。わたしの祈りの中へと入って来てください」(ローマ8:34、13、ガラテヤ5:24、17)。

[2021年12月訓練 メッセージ5 ノートより]

 

ローマ8:34

だれが罪に定めるのですか? キリスト・イエスは死んで、さらに復活させられ、神の右で、わたしたちのためにとりなしておられます。

 

ローマ8:13

なぜなら、もし肉にしたがって生きるなら、あなたがたは死ななければならないからです.しかし、その霊によって体の行ないを死に渡すなら、あなたがたは生きます。

 

ガラテヤ5:24

しかし、キリスト・イエスのものである人たちは、肉をその情と欲と共に十字架につけてしまったのです。

 

ガラテヤ5:17

なぜなら、肉の欲することはその霊に逆らい、その霊は肉に逆らうからです.この両者は互いに敵対し、その結果、あなたがたは自分の欲する事柄を、行なうことができなくなります。

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