31日: 自分に信頼しないことを学ぶように祈る

とりなしの祈り

しばしば聖徒たちがこう言うのを聞きます、「ああ、わたしは自分自身をささげます。わたしは自分自身を献身して、そこに移住して、神のためにこの事を行ない、福音を宣べ伝え、聖書を読み、これやあれを行ないます」。それは尊ばれるべきものですが、神のためにこの事を行なうために、あなたが自分自身を献身して、自分自身、時間、活力を犠牲にすることにおいて、だれがそれを行なっているのかということを、わたしたちは尋ねなければなりません。あなたがそれを行なっているのでしょうか? あなたの善い肉がそれを行なっているのでしょうか? それとも、主があなたの中で活動しているのでしょうか?(ローマ8:13、ガラテヤ3:3、5:2-4)。

[2021年12月訓練 メッセージ5 ノートより]

 

ローマ8:13

なぜなら、もし肉にしたがって生きるなら、あなたがたは死ななければならないからです.しかし、その霊によって体の行ないを死に渡すなら、あなたがたは生きます。

 

ガラテヤ3:3

あなたがたはそんなにも愚かなのですか? その霊によって始まったのに、今、肉によって完成されようとするのですか?

 

ガラテヤ5:2

見よ、わたしパウロがあなたがたに言います.もし、あなたがたが割礼されるなら、キリストはあなたがたにとって、何の益にもなりません。

 

ガラテヤ5:3

割礼されるすべての者に、わたしはもう一度、証ししますが、その人は律法全体を行なう負債のある者です。

 

ガラテヤ5:4

律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離され、無にもたらされています.あなたがたは恵みから落ちてしまったのです。

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