4日: 神のエコノミーにしたがって祈る時、すでに受けたと信じて祈る

dailyprayers05 とりなしの祈り

もしわたしたちが自分の願いを満足させるものを主に求めるなら、求めたものを受けたと信じる神への信仰を持つことは決してできません。これは、わたしたちの祈りが、神のみこころにしたがった神のエコノミーを成就するためのものでないからです。もしわたしたちが神と完全に一であるなら、神をわたしたちの信仰として持つことができ、神のみこころに対する認識にしたがって、神のエコノミーの成就のために祈ることができます(マタイ21:19-22)。

[2022年4月国際長老責任者訓練 メッセージ3 アウトラインより]

 

マタイ21:19

彼はその途中、一本のいちじくの木を見て、そこへ行かれたが、葉のほか何も見つからなかった。そこで彼はそれに言われた、「もはや、いつまでも、おまえには実がならないように!」。すると、そのいちじくの木は、たちまち枯れてしまった。

 

マタイ21:20

弟子たちはそれを見て、驚いて言った、「なぜいちじくの木が、たちまち枯れてしまったのでしょう?」。

 

マタイ21:21

イエスは彼らに答えて言われた、「まことに、わたしはあなたがたに言う.あなたがたが信仰を持って、疑わないなら、このいちじくの木になされたことを行なうだけでなく、この山に向かって、『持ち上げられて、海に投げ込まれよ』と言っても、そのとおりになる。

 

マタイ21:22

また、あなたがたが祈りの中で求めるものはすべて、信じるなら受ける」。

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