5日: 主日集会のために労するように祈る (1)

とりなしの祈り

主日集会開始の九時三十分には、おそらく六十パーセントの人がいるだけで、後から他の聖徒たちが遅れて入って来るのです。その中で、消極的な人は何人いるでしょうか? 黙っている人は何人いるでしょうか? 1983年、リー兄弟は、わたしたちがキリストを展覧し、キリストの上で労した産物の最高のものをもって父なる神を礼拝する集会について語りました。リー兄弟は、三十八年前の1983年に、「わたしはこのような集会のために四十年間戦って来ました」と言いました(詩歌624番1-4、6節)。

[2021年10月国際長老責任者訓練 メッセージ7 ノートより]

 

1.集会するたびにキリストを持ち寄り,彼が賜わったあり余る豊富を,
神の食物として共にささげ,このようにキリストを展覧しましょう。

(復) 来てキリストを展覧しましょう。来てキリストを展覧しましょう。
共に豊富を持ち寄り,来てキリストを展覧しましょう。

2.彼によって生活し,彼によって戦い,彼において絶えず耕します。
彼の豊富によって互いに結ばれます。それはキリストを展覧するためです。

3.わたしであること,行ない,経験することはすべて、わたしの実際としてのキリストです。
それはわたしたちが集会するたびに,キリストを展覧することができるためです。

4.集会に神のためにキリストをもたらし,互いに彼の豊富を享受し,
また神と共にキリストを享受し,こうしてキリストを展覧します。

6.集会の中心,集会の実際,すべての奉仕,すべての空気は,
これ以外に別の目的はなく,すべてはキリストを展覧するためです。

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