11月9日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

ピリピ3:13-14, 13節のノート, 14節のノート3, 4

「兄弟たちよ、わたしはまだ自分自身、捕らえたとは思っていません。ただ一つの事、すなわち、後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、キリスト・イエスの中でわたしを上に召してくださった神の賞を得るために、目標に向かって追い求めています」。

キリストを極限まで獲得するために、パウロはユダヤ教における自分の経験を放棄しただけでなく、過去のキリスト経験の中にとどまろうともしませんでした。彼は過去を忘れました。自分の過去の経験を忘れるのではなく、そこにとどまっているのは、それがどんなに本物であったとしても、キリストをさらに追い求めることを妨げます。
この「賞」は、千年王国におけるキリストの極みまでの享受です。これは新約のレースで勝利を得た走者への褒賞です。
「上に召し」は賞を得るためであり、そのために、神はわたしたちを上から、天から召されました。この天の召し(ヘブル三・一)は、ピリピ人への手紙第三章二〇節の天の国籍と一致します。それは、肉によるイスラエルの子供たちに与えられたような、地的な召しではありません。この上への召しは、キリストを所有するためでしたが、イスラエルの子供たちに与えられた地的な召しは、物質の土地を所有するためでした。

<抜粋>パンと魚

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