2022-05

とりなしの祈り

20日: 地上で神の権益のほか何も顧慮しない者となるように祈る

J・N・ダービーはかつて言いました、「ああ、何という喜び。何も持たず、無であり、栄光の中の生けるキリスト以外何も見ず、地上で彼の権益のほか何も顧慮しないことの喜び」。これが信仰です。わたしたちは大きな奇跡、大きな働き、大きなキャリアのために...
とりなしの祈り

19日: わたしたちの信仰が勝利者の信仰にまで発展するように祈る

この結び付ける信仰は、キリストが凱旋して戻るとき、勝利者たちがキリストに会うための神聖な要求です。これはルカ第18章8節に基づいています。そこで主は、「人の子が来る時、地上に信仰を見いだすであろうか?」と言いました。どうか主がわたしたちをあ...
とりなしの祈り

17日: 結び付ける信仰が 注入されるように祈る

主との会話の中で、主に対するわたしたちの愛から簡単な言葉をただ語ることによって、また主を少し呼び求めることによって、わたしたちに主が注入されます。キリストがわたしたちの中へと注入されることによって、わたしたちは彼をわたしたちの信仰として持ち...
とりなしの祈り

16日: 信仰の源である御言葉を祈る

わたしたちは信仰に満ちている人となるために、「信仰は聞くことから来るのであり、聞くことはキリストの言葉による」ということを見る必要があります。信仰の源は御言葉ですが、わたしたちはこの点の結晶化を認識しなければなりません。御言葉には三つの面が...
とりなしの祈り

15日: 集会の中で語り、霊の中で満たされるように祈る

召会の集会の中で、すべての聖徒は語る人となるべきです。わたしたちは語る人々として、黙っていたり静かであったりすべきではありません。なぜなら、わたしたちが礼拝する神は、語る神であるからです。クリスチャンの集会は、語ることで相互性に満ちているべ...
とりなしの祈り

14日: 信仰は聞くことから来ることを 見るように祈る

信仰は聞くことから来ます。そして聞くことは、御言葉を宣べ伝えることから来ます。信仰の源は御言葉です。こういうわけで、わたしたちは御言の中へと入り込まなければなりません。わたしたちは御言の中へと入り込めば入り込むほど、ますます信仰を持ちます。...
とりなしの祈り

13日: 信仰の霊によって語るように祈る

わたしたちの実際の生活の中で信仰の霊によって語ることは、偉大で極めて重要な点です。「信仰の霊」は、聖書の中で一度だけ用いられた、とても特別な表現です。信仰の霊とは、聖霊とわたしたちの再生された人の霊とのミングリングです。わたしたちはそのよう...
とりなしの祈り

12日: 人には神のために語る能力があることを 見るように祈る

神は語る神ですから、ご自身のかたちに人を創造したとき、神ご自身のように語る能力を持つ人を創造しました。神が人を創造したとき、最もすばらしい事は、神が人の内側に霊を創造したことであり、第二のすばらしい事は、語る能力が人に与えられたことです。神...
とりなしの祈り

11日: 語る神を見るように祈る

わたしたちの神は、語る神です。全宇宙は、神の語りかけによって存在するようになりました。ヘブル人への手紙の本質は、御子の中での神の語りかけです。神は御子の中で語り、御子はその霊として諸召会に語り、究極的には、その霊が召会と共に語ります。神が人...
とりなしの祈り

9日: 信仰が注入されるように祈る

イエスは、信仰の創始者、すなわち、信仰の創設者、開始者、源、要因です。わたしたちの天然の人の中には、信じる能力はありません。しかし、わたしたちがイエスをひたすら見つめるとき、彼は命を与える霊として、彼ご自身を、彼の信じる要素をわたしたちに注...
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