10日: 偶像礼拝から逃れるように祈る

とりなしの祈り

わたしたちが良き地としてのキリストを完全に所有しようとするなら、使徒パウロがイスラエルの子たちが金の子牛を拝んだ偶像礼拝を指して言っているように、わたしたちは「偶像礼拝から逃れ」なければなりません。金の子牛は神の贖われた民が造った偶像でした。立って戯れるとは、お祭り騒ぎ(調子に乗って騒ぐこと)にふけることです。わたしたちの心の中の偶像とは、わたしたちの中で、わたしたちが主以上に愛するあらゆるもの、またわたしたちの生活の中で主に置き換わるあらゆるものです。わたしたちは真の神の真の子供たちとして、警戒して偶像から、またわたしたちの生活におけるキリストの代替物と置き換えから、自分自身を守る必要があります(Ⅰコリント10:14.エゼキエル14:3.Ⅰヨハネ5:21)。

[2023年12月定期訓練 メッセージ2]

 

Ⅰコリント10:14

こういうわけで、わたしの愛する者たちよ、偶像礼拝から逃れなさい。

 

エゼキエル14:3

「人の子よ、これらの人たちは彼らの偶像を心の中に抱き、自分の罪科のつまずきの石を顔の前に置いている。わたしは彼らの願いをすべて聞くべきであろうか?

 

Ⅰヨハネ5:21

小さい子供たちよ、偶像から自分自身を守りなさい。

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