24日: 徹底的な会話を主と持つように祈る

とりなしの祈り

わたしたちが認識すべきなのは、主との徹底的な会話を持ち、自分の心を彼に注ぎ出すとき、わたしたちと主との親密さがさらに一段階進み、彼をさらに少し知るということです。これらの時の彼との親密な接触は、わたしたちと彼との通常の交わりより何百倍も良いのです。これらの接触によって、わたしたちは命において成長します。あなたの心にあるものをすべて告げてください。あなたが失敗するとき、「もう神に近づくことはできない」と思うかもしれません。しかしそのとき神に行ってください。あなたはただ失敗のことを神に告げてください。子供のように言えば良いのです。子供は本当に真実です。「こんな簡単なことでよいのですか?」とあなたは言うかもしれませんが、これでいいのです。単純であってください。わたしの孫は二歳です。いつも「ママ、ママ、これ見て!」と言います。好きなことも嫌いなことも全部ママに言います。わたしたちも主に対してこうであるべきです。「主よ、これが起こりました、主よ、どうすれば良いかわかりません、主よ、わたしは疲れました、主よ、何もしたくありません、主よ、共にいてください」と言ってください(詩62:6-8.56:8.参照、サムエル上1:15)。

[2023年5月 メモリアルデー特別集会 メッセージ2]

 

詩62:6

彼こそ、わが岩、わが救い、わが高きとりで.わたしは揺り動かされることはない。

 

詩62:7

わが救いとわが栄光は神にある.わが力の岩、避け所は神の中にある。

 

詩62:8

民よ、どんな時にも彼に信頼せよ.あなたがたの心を彼の御前に注ぎ出せ.神はわたしたちの避け所である。セラ

 

詩56:8

あなたはわたしのさすらいを数えておられます。わたしの涙をあなたの皮袋に入れてください。それはあなたの書にないのでしょうか?

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