9日: わたしたちの働きがキリストを中心とするように祈る

とりなしの祈り

わたしたちが存在するのはキリストを表現するためであり、わたしたちが福音を宣べ伝えるのはキリストを表現するためであり、わたしたちの働きはキリストを表現するためであり、召会はキリストを表現するためです。わたしたちは、自分の働きを実際に測って、評価する必要があります。わたしたちは何をしているのでしょうか? とても一生懸命働き、たくさんのことをしています。わたしたちの働きがわたしたちをそらすものになったり、ある種の代替品になったりするのではないかと、わたしは心配しています。しばらくすると、わたしたちはキリストを表現するためではなく、自分たちの働きの成功のためだけにここにいるようになります。そして召会はキリストを表現するためのものであり、召会は実際にキリストを表現するものなのです(Ⅱコリント4:5.Ⅰコリント15:58.ヨハネ17:23)。

[2023年5月 メモリアルデー特別集会 メッセージ1]

 

Ⅱコリ4:5

というのは、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、キリスト・イエスを主と宣べ伝え、また、わたしたち自身がイエスのためのあなたがたの奴隷であることを宣べ伝えるからです。

 

Ⅰコリ15:58

こういうわけで、わたしの愛する兄弟たちよ、堅く立って、動かされることなく、いつも主の働きに満ちあふれていなさい.あなたがたの労苦は主にあって無駄になることはないと、知っているのですから。

 

ヨハネ17:23

わたしが彼らの中におり、あなたがわたしの中におられるのは、彼らが成就されて一となるためです.また、あなたがわたしを遣わされたこと、あなたがわたしを愛されたように彼らを愛されたことを、世の人が知るためです。

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