20日: すべてに十分な神を経験するように祈る

とりなしの祈り

「すべてに十分な神(ヘブル語で「エル・シャダイ」)」という神聖な称号が啓示しているのは、神が恵みの源であって、神の神聖な存在の豊富を神の召された者たちに供給して、神の定められた御旨を完成するということです。主の恵みがわたしたちにとって十分であることは、主の力がわたしたちの弱さにおいて完全に現れることです(創17:1.Ⅱコリント12:9.ピリピ4:13.ヨハネ15:5後半)。

[2022年10月国際長老責任者訓練 メッセージ7 アウトラインより]

 

創世記17:1

さて、アブラムが九十九歳の時、エホバはアブラムに現れて言われた、「わたしはすべてに十分な神である.わたしの前に歩み、完全でありなさい。

 

Ⅱコリント12:9

すると彼はわたしに言われました、「わたしの恵みは、あなたに対して十分である.わたしの力は、弱さにおいて完全に現れる」。ですから、わたしはむしろ自分の弱さを、大いに喜んで誇りましょう.それはキリストの力が、わたしの上に幕屋を張るためです。

 

ピリピ4:13

わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです。

 

ヨハネ15:5

わたしはぶどうの木であり、あなたがたはその枝である。人がわたしの中に住んでおり、わたしもその人の中に住んでいるなら、その人は多くの実を結ぶ.わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである。

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