8日: 重荷を負う方としてのキリストを恵みとして経験するように祈る

恵みは、わたしたちの苦難、制限、弱さを通して、わたしたちに増し加えられます。恵みとは、わたしたちの重荷を負う方としてのキリストです。わたしたちは重荷を持てば持つほど、恵みとしてのキリストを経験する機会をますます多く持ちます。「彼はわたしたちが耐えられない重荷に耐えることができ、わたしたちが解決できない事柄を解決することができます。わたしたちの重荷を負い、わたしたちのすべての事柄を解決するこの方は、三一の神の具体化である恵みです。リー兄弟は彼のメッセージの中で、多くのクリスチャンは非常に貧しい霊的生活を送っていると述べています。彼はこの例証を与えました。あなたの家にとても良い車があるとしましょう。ただし、外出するときはいつも家に車を置いておきます。どこへ行っても、いつもそこを歩きます。これはなんて愚かなことでしょう。親愛なる兄弟姉妹、わたしたちはみな、わたしたちのすべての重荷を負うためにこの恵みを持っています。なぜわたしたちは自分の肩に重い重荷をのせ、自分の手にそれらを置くのでしょうか?」(Ⅱコリント12:7-9)。

[2022年2月国際華語特別集会 メッセージ4 アウトラインとノートより]

 

Ⅱコリント12:7

そして、その啓示があまりにもすばらしいために、わたしが高ぶり過ぎないようにと、肉体に一つのとげが与えられました.それは、わたしが高ぶり過ぎないように、わたしを打つためのサタンの使いなのです。

 

Ⅱコリント12:8

これについてわたしは、それが取り去られるようにと、三度も主に懇願しました。

 

Ⅱコリント12:9

すると彼はわたしに言われました、「わたしの恵みは、あなたに対して十分である.わたしの力は、弱さにおいて完全に現れる」。ですから、わたしはむしろ自分の弱さを、大いに喜んで誇りましょう.それはキリストの力が、わたしの上に幕屋を張るためです。

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