3日: 主日集会で神と協力するように祈る

とりなしの祈り

聖徒たちが主日集会に五分から二十分も遅れて来るというのは、神のみこころではありません。主日の集会がほとんど儀式的なものとなってしまい、またそこには真の賛美も、豊かな礼拝もない、というのも神のみこころでありません。自らにこう尋ねるべきです、「誰がこの事を顧慮しているでしょうか? 誰がこの事に負担を持っているでしょうか? 誰が祈っているのでしょうか? 御父は何を願っているのでしょうか? 主は何を願っているのでしょうか?」(ヨハネ4:23、ヘブル13:21、ルカ22:14)。

[2021年10月国際長老責任者訓練 メッセージ1 ノートより]

 

ヨハネ4:23

しかし、真の礼拝者たちが、霊と真実の中で父を礼拝する時が来る.そしてそれは今である.父はそのように彼を礼拝する者を、捜し求めておられるからである。

 

ヘブル13:21

ご自身の目に喜ばれることを、イエス・キリストを通してわたしたちの中で行ない、みこころを行なうために、あらゆる良いわざをもって、あなたがたを成就してくださいますように.その方に、栄光が永遠にわたってありますように。アーメン。

 

ルカ22:14

時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちも彼と共に食卓に着いた。

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