12月22日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

Ⅱコリント3:3, 6, 3節のノート2, 4, 6節のノート2

「あなたがたは、わたしたちが仕えているキリストの手紙であって、それもインクによってではなく生ける神の霊で書かれ、石の板にではなく心という肉の板に書き記された手紙であることが、明らかにされているのです……神はまたわたしたちを新しい契約の奉仕者として、資格づけてくださいました。それは、文字ではなく、その霊の奉仕者です。なぜなら、文字は人を殺しますが、その霊は人に命を与えるからです」。

使徒たちは、キリストで満たされていました。ですから、彼らの務めは、接触した人たちに、自然にキリストを供給し、その心の中にキリストを書き記し、キリストを伝える生ける手紙としました。その手紙は、使徒たちの心の中(Ⅱコリント三・二)と、信者たちの心の中(三節)の両方に書き記されました。このことは、コリント人への第二の手紙に記述された正常な新契約の務めが、常にその務めを受け入れる人たちの心の中と、務めをする人たちの心の中の両方に、何かを書き記すことを見せています。キリストを供給するこのような務めは、命のものであり、その手紙の本質は命を与える霊です。
わたしたちの心は、わたしたちの良心(霊の主要な部分)、思い、感情、意志から成っています。心は、キリストの生ける手紙が、神の生ける霊をもって書き込まれる板です。これは、キリストがわたしたちの中のあらゆる部分に、生ける神の霊をもって書かれ、わたしたちを彼の生ける手紙とすることを意味します。それは、彼がわたしたちにおいて表現され、人に読まれるためです。
コリント人への第二の手紙第三章六節の「霊」は、生ける神の霊です。この霊をもって、使徒たちはキリストを信者たちの中に供給し、彼らをキリストの生ける手紙としました(三節)。旧約のモーセの務めとは異なり、新約の使徒の務めは、死んだ文字のものではなく、命を与える生ける霊の務めです。

<抜粋>パンと魚

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