8月29日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

啓示録22:17, 17節のノート1-3

「その霊と花嫁が言う、『来たりませ! 聞く者も「来たりませ!」と言いなさい。渇いている者は来たれ。欲しい者は、命の水を値なしに飲むがよい』」。

啓示録第二章と第三章では、諸召会に語るのはその霊でした。啓示録の終わりでは、その霊と花嫁(召会)とが一つになって共に語っています。これは、その霊を経験することでの召会の進歩を示しています。召会は進歩して、三一の神の究極的完成であるその霊と一になっています。
聖書全体の啓示は、宇宙的夫婦の愛の物語をわたしたちに見せています。すなわち、宇宙と万物を創造された主権者なる主、受肉、人の生活、十字架、復活、昇天の手順を経た父、子、霊の三一の神が、最終的に命を与える霊と成られて、創造され、再生され、造り変えられ、栄光化された、霊、魂、体の三部分から成る人、最終的に神の表現である召会を構成する者と、結婚において結合されます。終わりのない永遠において、神聖で、永遠の、卓越した栄光の命によって、彼らは神と人が一つ霊に混ざり合う生活、最高にすばらしい、祝福と喜びに満ちあふれた生活をします。
「来たりませ!」は、その霊と花嫁の、十六節の主の言葉と、七節と十二節の繰り返された彼の警告に対する応答です。この言葉は、主の到来を待ち望む現れです。この応答を聞く者はだれでも、また「来たりませ!」と言うはずです。こうして、主の到来に対する共同の願望を言い表すのです。主の出現を慕うすべての信者は(Ⅱテモテ四・八)、このような共同の願望を言い表すべきです。
その霊と花嫁は、一方で主の来られるのを待ち望み、もう一方で、渇いている罪人も満足のために来て、命の水を飲むようにと切望します。主の到来に対して真剣な願いを持つ時、わたしたちは罪人の救いのために熱心な関心を持ちます。

<抜粋>パンと魚

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