11月18日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

へブル11:1, 1節のノート3, 5

「さて信仰とは、望んでいる事柄を実体化することであり、見ていない事柄を確認することです」。

未信者は、キリストがなく、望みがありません(エペソ二・十二、Ⅰテサロニケ四・十三)。しかしわたしたち、キリストにある信者は、望みの民です。わたしたちが神から受けた召しは、わたしたちに望みをもたらします(エペソ一・十八、四・四)。わたしたちは、生ける望みへと再生されました(Ⅰペテロ一・三)。わたしたちのキリストは、内にいて、栄光の望みであり(コロサイ一・二七、Ⅰテモテ一・一)、それは栄光のうちで体の贖い、変貌となるでしょう(ローマ八・二三―二五)。これは救いの望み(Ⅰテサロニケ五・八)、祝福された望み(テトス二・十三)、良い望み(Ⅱテサロニケ二・十六)、永遠の命の望み(テトス一・二、三・七)です。それはまた神の栄光の望み(ローマ五・二)、福音の望み(コロサイ一・二三)、わたしたちのために天に蓄えられている望み(五節)です。わたしたちはいつもこの望み(Ⅰヨハネ三・三)を保ち、その中で勝ち誇る(ローマ五・二)べきです。わたしたちの神は、望みの神(十五・十三)です。そして聖書の励ましを通して、わたしたちは絶えず神の中に(Ⅰペテロ一・二一)望みを持ち(ローマ十五・四)、その中で喜びます(十二・十二)。
すべて望んでいる事柄は、見ていない事柄です(ローマ八・二四―二五)。わたしたちは望みの民として、生活の目標は見える事柄ではなく、見えない事柄であるべきです。なぜなら、見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです(Ⅱコリント四・十八)。ですから、わたしたちは見えるものによってではなく、信仰によって歩きます(五・七)。

<抜粋>パンと魚

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