とりなしの祈り

11日: 命の原則にしたがって生活するように祈る

わたしたちは命の原則にしたがって生活するために、命の内なる感覚に従う必要があります。命の感覚は主観的で、個人的で、実際的です。消極的な面で、命の感覚は死の感覚です。積極的な面で、命の感覚は命と平安の感覚であり、力、満足、安息、明るさ、心地よ...
とりなしの祈り

10日: 霊を魂から識別して、霊を知るように祈る

わたしたちは命の原則にしたがって生活しようとするなら、霊を魂から識別して、霊を知る必要があります。その霊である主は、わたしたちの霊の中で生き、住み、働き、行動し、活動しており、わたしたちは彼と一つ霊です。わたしたちは実際的に主を知ることを願...
とりなしの祈り

9日: わたしたちの生活が 内なる命に基づいていることを見るように祈る

わたしたちのクリスチャン生活は、内なる命に基づいているのであって、正しいか間違っているかの外なる標準に基づいているのではありません。わたしたちの生活の原則は内側のものであって、外側のものではありません。もしわたしたちが正しいか間違っているか...
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8日: 二本の木と生活の二つの原則を見るように祈る

創世記第2章9節の二本の木(命の木と善悪知識の木)は、生活の二つの原則を表します。二本の木が見せているのは、クリスチャンが二つの異なる原則(正しいか間違っているかの原則、あるいは命の原則)にしたがって生活することがあり得るということです。ク...
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7日: 命の木を享受して、命を福音、牧養として流し出すように祈る

わたしたちは時が良くても悪くても、日ごとにキリストをあらゆる種類の人々に語り、真剣に努めてどの集会でも語る習慣を建て上げなければなりません。「この事が意味するのは、都合が良かろうと、都合が悪かろうと、言葉が喜んで受け入れられようと、受け入れ...
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6日: 朝ごとに命の木としてのキリストを享受するように祈る

わたしたちが命の道にとどまるのは、御言を祈り読みし、言葉を思い巡らす(口ずさむ)ことを通してイエスを食べることによってであり、またわたしたちの信仰の霊を活用することを通してその霊である言葉を人の中へと供給することによってです。わたしたちは朝...
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5日: 命の木としてのキリストを愛するように祈る

極みまで彼を愛することは、わたしたちの個人的で、愛情深い、ひそかな、霊的な関係に関するものです。わたしたちは極みまで主を愛し、そうすることにおいて、人を引き寄せて主の後を走ります。これがわたしたちの奉仕です。そうしなければ、他の人を引き寄せ...
とりなしの祈り

4日: クリスチャン生活の正しい標準にしたがって生きるように祈る

クリスチャン生活の標準は、わたしたちの内側の内住するキリストの臨在です。それは、何が正しいか間違っているかの問題ではなく、わたしたちの内側の神聖な命が同意するかどうかの問題です。「それはあなたが命と平安を持っているかどうかの問題です。命を持...
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3日: 神が願う、神・人となるように祈る

神は善い人を願っていません。アダムは堕落する前は善い人でした。彼は完璧だった。彼には罪がまだありませんでした。彼は善い人でした。しかし、神は善い人を欲していませんでした。神は、GOOD(善い)から、アルファベットのOを一つ取って、GOD(神...
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2日: 命の木としてのキリストを食べるように祈る

エレミヤ書第15章16節を良く知っていると思いますが、この節の最初の部分に多くの人は注意を払っていません。それは「あなたの言葉が見いだされて」と言っています。つまり、わたしたちは毎日この言葉の中で新しい発見をする必要があるということです。「...
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