5日: 命の木としてのキリストを愛するように祈る

とりなしの祈り

極みまで彼を愛することは、わたしたちの個人的で、愛情深い、ひそかな、霊的な関係に関するものです。わたしたちは極みまで主を愛し、そうすることにおいて、人を引き寄せて主の後を走ります。これがわたしたちの奉仕です。そうしなければ、他の人を引き寄せて主の後を走ることができません。あなたがそれらを愛していないなら、できません。わたしを引き寄せてください。わたしたちはあなたの後について走ります。主があなたを引き寄せないのなら、わたしが弱くなってしまうでしょう。だからわたしたちは、「わたし」がさらに引き寄せられるように祈らなければなりません……わたしたちは、命の木としてのキリストを享受するために、絶えず彼に、「主イエスよ、わたしはあなたを愛します」と告げなければなりません。わたしたちが主イエスに対する燃える愛を持ち、すべての事で彼に第一位を与えるなら、彼であるすべてを享受します(マルコ12:30.雅1:4.啓2:4-5,7)。

[2022年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ1 アウトラインとノートより]

 

雅歌1:4

わたしを引き寄せてください.わたしたちはあなたの後を走ります」.王はわたしを彼の奥の間に連れて行かれた.「わたしたちはあなたの中で喜び楽しみ、ぶどう酒にまさってあなたの愛をほめたたえます。彼女たちは一心にあなたを愛します。

 

啓示録2:4

しかし、わたしには、あなたを責めるべき事が一つある.あなたは初めの愛を離れてしまった。

啓示録2:5

そこで、あなたはどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めのわざを行ないなさい.しかし、そうしないなら、わたしはあなたの所へ行く.そして、もしあなたが悔い改めないなら、あなたの燭台をその所から除き去る。

 

啓示録2:7

耳のある者は、その霊が諸召会に言われることを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにある命の木から食べさせよう』。

 

 

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