キリスト

とりなしの祈り

6日: 神格においてではなく、命と性質において神となるという真理を語るように祈る

わたしたちは偉大な神から生まれたので、命と性質において神となりますが、もちろん、神格において神となるのではありません。わたしたちは偉大な起源者としての神と同列であり、わたしたちは彼の子供たちです。「わたしたちは神の子供たちです。神の命と性質...
とりなしの祈り

5日: すべての人が 神・人の大量の複製となるように祈る

この新しい種類は、神の種類でもなく、また人類でもなく、神・人の種類です。「ヨハネによる福音書第1章1節は『言葉が肉体と成った』と言っています。これは神が人と成ったことです。ヨハネによる福音書第12章24節は、『一粒の麦が死んだなら、多くの麦...
とりなしの祈り

3日: 高嶺の真理をさらに深く知るように祈る

聖書という「箱」の中の「ダイヤモンド」は啓示であり、それは神がキリストの中で人と成ったのは、人が神格においてではなく、命と性質において神となり、キリストのからだを建造して、新エルサレムを究極的に完成するためであるという啓示です。神の永遠のエ...
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2日: 神の愛と光を 享受することができるように祈る

ヨハネの第一の手紙第4章8節と16節は、「神が愛である」と言っています。これも神の性質です。どのように神の愛を享受するのでしょうか? ヨハネの第一の手紙は、神聖な命の交わり、命の流れについて語っています。命が流れるとき、神を愛として享受しま...
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1日: すべての人が高嶺の真理を 語ることができるように祈る

主要な十二のメッセージを、7月訓練で取り扱いました。これは「バイタルグループ」の第17編のアウトラインから来ています。第17編の中で、神のエコノミーの究極の目標、キリストの満ち満ちた務め、神・人の生活などの、主要な項目を取り扱いました。どの...
とりなしの祈り

28日: 神・人の生活をして神を喜ばせるように祈る

神を喜ばせる唯一の生活は、キリストが地上で生きた生活を繰り返す生活です。これは、全焼のささげ物としてのキリストの経験の中でキリストを経験する生活です(レビ1:9.ヨハネ8:29.Ⅱコリント5:9)。 レビ1:9 ただし、その内臓とその脚は水...
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27日: 神・人の生活の実際を生きることを求めるように祈る

「もしわたしが神の言葉の標準に達していないのなら、わたしは追いつかなければなりません。そしてわたしは神の言葉について行かなければなりません。もしわたしが追いつくことができなければ、わたしは罪を犯しましたと言うことができるだけです。もしわたし...
とりなしの祈り

26日: 神・人の生活の意義を見るように祈る

「もしわたしたちが実行できることを越えて宣べ伝えることができないなら、神のしもべになることはできません。これは、真理が絶対的であるからです。神聖な御言の標準は、わたしたちの個人的な到達の水準にまで引き下げられてはなりません。わたしたちは、自...
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25日: 成就された神・人の団体の生活を持つように祈る

キリストのからだの実際は、成就された神・人による団体の生活です。彼らは真の人ですが、自分の命によって生きるのではなく、手順を経て究極的に完成された三一の神の命によって生きます。手順を経て究極的に完成された三一の神の属性は、彼らの美徳を通して...
とりなしの祈り

24日: からだの実際を経験するように祈る

わたしたちは手続きとしての地方召会の中にいて、キリストのからだの実際の中へともたらされる必要があります。いい車が与えられてある地点に返るとします。良い車があるとします。しかし、目的地に着いたら心地よい車にとどまると言わないでください。この車...
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