24日: からだの実際を経験するように祈る

とりなしの祈り

わたしたちは手続きとしての地方召会の中にいて、キリストのからだの実際の中へともたらされる必要があります。いい車が与えられてある地点に返るとします。良い車があるとします。しかし、目的地に着いたら心地よい車にとどまると言わないでください。この車はあなたをある地点に運ぶための道具であり、キリストのからだがゴールです。地方召会を捨てるのではありません。地元の聖徒とブレンディングされなければいけません。アナハイムの兄弟姉妹とブレンディングされたいと言わないでください。あなたの隣の人とブレンディングされてください。今は手続きを強調しますが、永遠にそこにとどまってはいけません。それは目的地に行くための車にすぎません(Ⅰコリント1:2.12:25-27)。

[2023年7月定期訓練 メッセージ4]

 

Ⅰコリ1:2

コリントに在る神の召会へ、すなわち、キリスト・イエスの中で聖別された者たち、召された聖徒たち、それと共に、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての者へ.彼は彼らのもの、またわたしたちのものです.

 

Ⅰコリ12:25

それは体に分裂がなく、各肢体が互いに同じ顧みを持つためです。

 

Ⅰコリ12:26

もし一つの肢体が苦しむなら、すべての肢体が共に苦しみます.もし一つの肢体が栄光を受けるなら、すべての肢体が共に喜びます。

 

Ⅰコリ12:27

今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。

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