イエス

とりなしの祈り

3日: 主の恵み、神の愛、その霊の交わりを見るように祈る

主の恵みは、わたしたちの命としての主ご自身であり、わたしたちの享受となります。神の愛は、神ご自身であり、主の恵みの源です。その霊の交わりは、その霊ご自身であり、主の恵みと神の愛との伝達であって、わたしたちにあずからせます。Ⅱコリント第13章...
とりなしの祈り

2日: 三一の神の永遠の祝福を見るように祈る

民数記第6章22節から27節でわたしたちは、祭司による祝福の模範を見ます。この祝福は、旧約の祝福でもなく、新約の祝福でもありません。むしろ、それは三一の神の永遠の祝福です。すなわち、三一の神が彼の神聖な三一の中で、ご自身をわたしたちの中へと...
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1日: 唯一の祝福は三一の神であることを見るように祈る

全宇宙で、唯一の祝福は三一の神です。この祝福は、わたしたちの中へともたらされる神聖な三一の神聖な分与を通してわたしたちに臨んで、わたしたちの享受となり、神の神聖なエコノミーを完成します。神のエコノミーにおける神の意図は、彼の神聖な三一(父、...
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31日: ヒラデルヒヤの道を継続するように祈る

わたしたちはヒラデルヒヤの道を継続するために、ラオデキヤの道から救われなければなりません。ラオデキヤは堕落しゆがんだヒラデルヒヤです。わたしたちはヒラデルヒヤの道を継続したいなら、神の御前にへりくだり、代価を払って金、白い衣、目薬としての三...
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30日: 兄弟愛を回復するように祈る

ヒラデルヒヤに対する主の回復は、質の回復、召会の本来の実質の回復、すなわち、神の内なる実質の回復です。神の内なる実質は愛です。一の真の立場(召会の立場)に立つことは、すべての兄弟たちを愛することを選ぶことです。主の回復は、主イエスを愛するこ...
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29日: 宝物倉としてのキリストの中で神の豊富を享受するように祈る

わたしたちは宝物倉としてのキリストの中で神の豊富を享受するために、命の感覚にしたがって主との接触の中にとどまり、主と接触し続け、自分自身を訓練して霊の中で貧しくなり、心が純粋である必要があります。わたしたちは宝物倉としてのキリストの中で神の...
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28日: わたしたちが解雇され、キリストに置き換えられるように祈る

真の召会生活は、すべての聖徒が解雇され、キリストに置き換えられて、キリストを召会の中のあらゆるものとする生活です。わたしたちはみな「セブナ」であり、真のエリアキムとしてのキリストによって取り除かれ、置き換えられて、彼の複製となり、神の奥義の...
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27日: 三一の神の中で柱となるように祈る

勝利者が宮の柱となるとは、彼らが三一の神の中で柱となることを意味します。なぜなら、宮は、「主なる神、全能者と小羊」であるからです。神は彼らの中へと建造されて、彼らを生ける尊い石とします。そして彼らは神の中へと建造されて、神の中の石の柱となり...
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26日: 祈り読みをして、神に対して富むように祈る

ヒラデルヒヤの者たちが「神に対して富んで」いるのは、彼の言葉を祈り読みし、口ずさんで、彼らの心の中に彼の言葉を蓄えることによってです。彼らが神の言葉に手を挙げることが示しているのは、彼らが温かく、喜んでそれを受け入れ、それにアーメンと言うこ...
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24日: ヒラデルヒヤの勝利者の特徴を見るように祈る

ヒラデルヒヤの勝利者の特徴は、彼らが神のエコノミーの神聖な啓示の最高峰に到達することを渇望しているということです。この最高峰は、神が人と成ったのは、人が神格においてではなく命と性質において神となって、キリストのからだが生み出されることができ...
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