とりなしの祈り 21日: 交わりによって平安を享受するように祈る 祈りの中で神との交わりを実行した結果は、わたしたちが神の平安を享受することです。神の平安は実際上、平安としての神であり(9節)、わたしたちが祈りによって彼と交わることを通して、悩みの均衡をとる重り、思い煩いの抗毒剤として、わたしたちの中へと... とりなしの祈り
とりなしの祈り 20日: 問題に近づくのではなく、「神に」近づくように祈る 「神に」は、ある方向の動作を示し、生ける結合と交流の意味であり、交わりを暗示します。ですから、ここの「神に」の意味は、「神との交わりの中で」ということです。「神に」のギリシャ語は、「近づく」という意味があります。他の言語よりも豊かです。最終... とりなしの祈り
とりなしの祈り 19日: 感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって要望を神に知らせるように祈る 力づけてくださる方としてのキリストの中でいっさいの事柄を行なう実行上の道は、ピリピ第4章6節から7節に見いだされます、「何事にも思い煩うことなく、あらゆることにおいて、感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって、あなたがたの要望を神に知... とりなしの祈り
とりなしの祈り 17日: 訓練する恵みに開くように祈る わたしたちは主の弟子、彼の学ぶ者として、神の恵みとしての彼の訓練の下に絶えずいます。神はまたわたしたちに、「わたしたちの救い主・神の慈しみと、人に対する彼の愛」として現れました。この恵みは、「わたしたちを訓練して、不敬虔とこの世の欲を否み、... とりなしの祈り
とりなしの祈り 16日: イエスの実際を学ぶように祈る 信者たちは弟子たち、学ぶ者たちであり、秘訣を学びつつあります。その秘訣とは、実際はイエスの中にあるので、キリストを学ぶことであり、それは実際の霊に、彼らを四福音書に記録されているようなイエスの生活の実際の状態の、すべての実際の中へと導いてい... とりなしの祈り
とりなしの祈り 15日: 自己を否むように祈る わたしたちの自己を否むことが意味するのは、魂の願望、好み、選択を拒絶することです。人の最初の罪は、自分自身のためにある事を行なって、自己を満足させることでした。わたしたちは代価を支払わなければなりません。わたしたちは、自分自身を失い、自己と... とりなしの祈り
とりなしの祈り 14日: 思いを霊に付けるように祈る わたしたちは、どのように思いを霊に付けるかを学ばなければなりません。言い換えれば、わたしたちはどのように神に信頼し、主に依り頼むかを学ばなければなりません。召会生活のためにクリスチャン生活をする真の秘訣は、わたしたちが思いを霊に付けることで... とりなしの祈り
とりなしの祈り 13日: キリストに集中するように祈る わたしたちは彼に集中すべきであって、彼以外のいかなる人、事、物にも集中してはなりません。わたしたちは神によって定められた唯一の中心としての彼に焦点を合わせるべきです。それによって信者たちの間のすべての問題は解決されます。コリントに在る召会は... とりなしの祈り
とりなしの祈り 12日: 秘訣を学ぶように祈る わたしたちはすべてを含むキリストを見て、彼を享受する秘訣を学んだなら、主の回復に対して忠信になります。これは、主の回復に対する忠信さを定義するもう一つの面です。こう言っては申し訳ないのですが、当初は、強く追い求めて開始した人もいました。ある... とりなしの祈り
とりなしの祈り 11日: 命を与える霊を享受するように祈る 今日のわたしたちの最大の必要は、キリストがその霊であって、わたしたちの霊に内住していることを、見ることです。もしわたしたちがこの点を見なければ、キリストのすべてはわたしたちにとって単なる客観的な教理となります。もし今日、キリストが命を与える... とりなしの祈り