15日: 自己を否むように祈る

とりなしの祈り

わたしたちの自己を否むことが意味するのは、魂の願望、好み、選択を拒絶することです。人の最初の罪は、自分自身のためにある事を行なって、自己を満足させることでした。わたしたちは代価を支払わなければなりません。わたしたちは、自分自身を失い、自己とそのすべての欲望を満足させないという代価を払う必要があります。わたしたちは自分自身を満足させるよりもキリストを選びます。どのようにしますか? キリストを享受することによって神を満足させます(創3:1-7)。

[2023年5月 メモリアルデー特別集会 メッセージ1]

 

創3:1

さて、蛇は、エホバ・神が造られた野のあらゆる動物の中で、最もこうかつであった。蛇は女に言った、「『あなたがたは園のどの木からも食べてはならない』と、神は本当に言われたのですか?」。

 

創3:4

すると、蛇は女に言った、「あなたがたは必ずしも死ぬことはありません!

 

創3:5

それは、あなたがたがそれから食べる日に、あなたがたの目が開かれ、あなたがたが神のようになり、善と悪を知るようになることを、神は知っておられるからです」。

 

創3:6

そこで、女が見ると、その木は食べるのに良く、目に喜ばしく、その木は賢くなるのに好ましかったので、彼女はその実を摘み取って食べた.彼女はまた一緒にいた夫に与えたので、夫も食べた。

 

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