7月10日 とりなしの祈り

とりなしの祈り

10日:大きな車輪で表徴される神のエコノミーの行動の中で動くように祈る

この大きな車輪を動かすには、わたしたちが動かなければなりません。わたしたちが動かなければ、神は動かないでしょう。神が動かなければ、わたしたちは動くことができません。ですから、神の行動は肉体と成る原則の中にあります。一方で神はイスラエルに良き地を与えられましたが、もう一方で、イスラエルは立ち上がって地を取って、神の使命を果たす必要がありました。神がサタンの強奪の手から地を取り戻すためには、神の民は肉体と成る原則において神と完全に協力し、組み合わされる必要がありました(エゼキエル1:15-16, 19-20)。

[2021年7月訓練 メッセージ1 付録資料より]

 

エゼキエル 1:15

また、わたしが生き物を見つめていると、見よ、生き物のそば、地の上に、四つの顔それぞれに対して一つの車輪があった。

 

エゼキエル 1:16

車輪の外観とその構造は、緑柱石の様のようであった。その四つのものは一つの姿をしていた.すなわち、その外観と構造は、車輪の中に車輪があるようであった。

 

エゼキエル 1:19

生き物が行くときはいつも、車輪もそのそばを行き、生き物が地上から上げられるときはいつも、車輪も上げられた。

 

エゼキエル 1:20

霊が行く所へはどこへでも、彼らは行った―霊が行くと行った。そして車輪は彼らに伴って上げられた.生き物の霊が、車輪の中にあったからである。

タイトルとURLをコピーしました