16日: 主に来て生ける水の源泉である主に触れるように祈る

とりなしの祈り

水ためを掘ることが描写しているのは、イスラエルが人の労苦によって苦しみ、何か(偶像)を作って神を置き換えるということです。水ためが壊れて水をためることができないことが示しているのは、生ける水としてわたしたちの中へと分与された神ご自身がなければ、何もわたしたちの渇きをいやすことができず、またわたしたちを神の増し加わりとならせて彼を表現させることもできないということです。神の目に、悪しき者、悪を行なう者は、来て彼から飲むことをしない者です。悪しき者どもの邪悪な状態は、彼らが主に来て主を食べ、飲み、享受しないことです。彼らは多くの事を行ないますが、来て主に触れ、彼を取り、彼を受け、彼を味わい、彼を享受することをしません。神の目に、これほど邪悪なことはありません。「ただ単に、神を捨てるだけでなく、命の水の源泉を捨てると言っています。聖書を読んでいると言っているかもしれませんが、あなたは生ける源泉としての神から飲んでいないのです、形式的には神を捨てていなくても、内側では生ける神の源泉を捨てているのです。人の活動、良い方法などは水を貯めることはできません、神はこれを悪事と言っています。ですから彼に触れるのです。鍵は彼に触れることです。わたしたちは来て生ける水の源泉である主に触れる必要があります」(エレミヤ2:13.イザヤ55:7.57:20.参照、55:1-2)。

[2023年12月定期訓練 メッセージ4]

 

イザヤ55:7

悪しき者は自分の道を捨て、悪を行なう者は自分の思いを捨てよ.エホバに帰れ.そうすれば彼は深く同情してくださる.わたしたちの神に帰れ.まことに、彼は豊かに担って赦してくださるからである。

 

イザヤ57:20

しかし、悪しき者どもは荒れ狂う海のようだ.まことに、静まることができず、その水はぬかるみと泥を吐き出す。

 

イザヤ55:1

さあ! 渇いている者はみな水に来なさい.あなたがた銀のない者も.来なさい.買って食べなさい.来て、銀を出さず無代価で、ぶどう酒と乳を買いなさい。

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