15日: 観念を変えて谷間と山々を経験できるように祈る

とりなしの祈り

水が「谷間と山々に流れて」いることは、生ける水としてのキリストがさまざまな環境の中で流れることを示しています。谷は、十字架の経験、すなわち、キリストの死の経験です。山々は、キリストの復活の経験です。「谷間、山々が必要です。谷間は小麦、十字架の経験と一致します。山々は復活のキリストの経験です。使徒パウロの生涯において、彼は使徒であり、神によって用いて、新約の務めを遂行しました。彼は平らな生涯ではありませんでしたが、多くの谷間と山々に満ちていました。彼の生涯はいつもこのようなところに渡されていました。これがあなたの求めているクリスチャン生活でしょうか? 主を愛し、追い求め、享受すればするほど、どうでしょうか? このような栄光の事柄を求めるでしょうか? 毎日それが照らされるものでしょうか? それは使徒パウロの経験ではありません。わたしが恐れるのは、観念において聖徒たちがなおも、のろわれているのだ、悪いことをしたのだ、神が愛しているから祝福されるはずなのに何で病気になるんだ、わたしのルームメイトは大丈夫だ、毎回集会に行っている、というものを持っているのではないかということです。祝福の神からの観点は、わたしたちというものとは異なっています。主イエスご自身を描写している生活は、パウロにおいても同様に見られており、それは谷間に満ちていました。山々ももちろんありましたが、谷間が多くあり、死を経過する経験がありました」(Ⅱコリント1:9.4:11,14.参照、列王上20:23,28)。

[2023年12月定期訓練 メッセージ4]

 

Ⅱコリント1:9

実に、わたしたちは自ら、自分自身のうちに死という答えを持ちました.それは、わたしたちが自分自身に信頼するのではなく、死人を復活させる神に信頼するためでした.

 

Ⅱコリント4:11

なぜなら、わたしたち生きている者はイエスのために、絶えず死に渡されているからであり、それはイエスの命が、わたしたちの死ぬべき肉体に現されるためです。

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