15日: 全焼のささげ物としてのキリストの経験が拡大するように祈る

とりなしの祈り

レビ記第1章の節は、さまざまな予表の全焼のささげ物を示しています。この事は、わたしたちが召会生活とクリスチャン生活の中で前進するとき、全焼のささげ物としてのキリストの経験が発展することを示しています。全焼のささげ物は、山ばとから羊へ、あるいはやぎから雄牛へと、大きくなっていきます。この事が示しているのは、わたしたちが、わたしたちの内なる存在の中の絶対性としての神を顧みることによって、神を養えば養うほど、ますます大いに神を養うようになるということです(レビ1:3-4,8-9)。

[2022年12月 定期訓練 メッセージ3より]

 

レビ記 1:3

その人のささげ物が、牛の群れからの全焼のささげ物であるなら、彼は傷のない雄を献げなければならない.それを集会の天幕の入り口で献げて、彼がエホバの御前に受け入れられるようにしなければならない。

 

レビ記 1:4

彼はその全焼のささげ物の頭の上に手を置かなければならない.そうすれば、それは彼に代わって受け入れられて、彼のために罪を覆う。

 

レビ記 1:8

そして、祭司であるアロンの子たちは、そのそれぞれの部位と頭と脂肪を、祭壇の上にある火の上の薪の上に整然と並べなければならない.

 

レビ記 1:9

ただし、その内臓とその脚は水で洗わなければならない。そして祭司は、そのすべてを祭壇の上で、全焼のささげ物として焼いて煙を立ち上らせなければならない.それは火によるささげ物であり、エホバを満足させるかおりである。

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