8日: 神のみこころを発表する祈りを学ぶように祈る

とりなしの祈り

神によって開始され、神が開始した事に呼応する祈りだけに、霊的な価値があります。わたしたちはこのような祈りを学ばなければなりません。この点はわたしたちの心に書かれる必要があります。わたしたちは進んで訓練される者たちです。わたしたちが学ぶ必要がある祈りは、わたしたちの感覚や思いの中にあるものにしたがっていない祈り、またわたしたちの状況に焦点づけられていない祈りです。召会の祈りの集会において、わたしたちは神が開始した祈りだけを祈ることを学ぶ必要があります(エペソ6:18.Ⅰヨハネ5:14-16前半)。

[2022年12月 定期訓練 メッセージ2より]

 

エペソ6:18

すべての祈りと願い求めによって受け取りなさい.どんな時にも霊の中で祈り、すべての聖徒のために根気と願い求めの限りを尽くし、このために目を覚ましていなさい.

 

Ⅰヨハネ5:14

何事でも、わたしたちが彼のみこころにしたがって求めるなら、彼は聞いてくださいます.これこそ、わたしたちが彼に対して持っている大胆さです。

 

Ⅰヨハネ5:15

わたしたちの求めるものは何でも、彼が聞いてくださることを知っているなら、わたしたちが彼に求めた願いは、かなえられていることを知るのです。

 

Ⅰヨハネ5:16

だれでも自分の兄弟が、死に至らない罪を犯しているのを見たなら、その人は祈り求めるべきです.そうすれば、彼はその人に、死に至らない罪を犯している人たちに、命を与えます。死に至る罪があります.それについて祈り求めるべきであるとは、わたしは言いません。

 

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